緑のテーブル
1ヵ月後に迫った3月公演『Dance Speaks』。
本公演では、国内では当団のみがレパートリーに有する2作品を上演しますが、多くの方が関心をもっているのはやはり14年ぶりの再演となる「緑のテーブル」ではないでしょうか。
「緑のテーブル」は、ドイツ出身のダンサー/振付家のクルト・ヨースによる作品。
平和会議のモチーフという「緑のテーブル」を用い、≪反戦≫をテーマに創作された本作は、1932年のパリ国際舞踊コンクールにおいて一等を受賞したことから一躍脚光を浴びました。
「死」を踊るヨース(提供:ヨース・エステート ©Lipnitzki)
コンクールの翌年には政治的な理由からドイツからの亡命を余儀なくされるヨースですが、イギリスに逃れた後も精力的に創作活動を続けます。
第二次世界大戦が終戦し1949年に再びドイツに戻った後は、芸術大学の創設や後進の指導に心血を注ぐことになりますが、
かの有名なピナ・バウシュもヨースの教え子のひとり。彼女自身、ヨースの率いるカンパニーに所属し「緑のテーブル」を踊ったことも。
SDBの「緑のテーブル」初演は1977年。創設者の故・太刀川瑠璃子は、SDB創設時より世界の名作を日本の観客に紹介したいという理念のもと数々の作品の日本初演を手がけてきましたが、そのひとつとして目を付けたのがクルト・ヨースの「緑のテーブル」でした。
初演にあたっては、ヨースの娘のアンナ・マーカードさんを招聘し、7週間に及ぶリハーサルを実施。公演は大成功をおさめたのですが、アンナさんは当初、行ったことのないアジアの日本にくることを躊躇していたそうです。そんなアンナさんを後押ししたのが、SDB誕生のきっかけともなった振付家アントニー・チューダー。「日本はいい国だから安心して」というチューダーの言葉を受けて、来日を決意したんだとか。
また、SDBの芸術顧問であるサー・ピーター・ライトも、かつてヨースのカンパニーで「緑のテーブル」を踊ったことがあり、SDBにゆかりのある振付家同士が不思議な縁でつながっているように感じられます。
さて、世界的に有名な「緑のテーブル」ですが、上演しているカンパニーやその上演回数も実は驚くほどに少ないことをご存知でしょうか。
その理由のひとつとして、まずは厳格な振付指導が挙げられます。
クルト・ヨースが作品に込めた想いを正確に伝えるため、ヨースが描いた表現を忠実に再現しなくてはならないという理念のもと、上演の際にはヨース・エステートから舞台指導者が派遣されます。
この指導者の派遣自体は珍しいことではありません。バランシン作品でも、ロビンスでも、チューダーでも、同様に振付指導者のもとリハーサルを行います。
「緑のテーブル」が例外的なのは、この舞台指導者のもとで行うリハーサル期間がかなり長く設定されているところにあります。初演か再演か、これまでの上演回数などによってその期間は異なるそうですが、今回は5週間。
作品の本質を理解し、吸収して自分のものにし、それを正しく伝えられる表現ができるようになるまでには、これくらいの時間を要するとされているのです。
他にも、「緑のテーブル」には細かな上演条件があります。
例えば、「作品は最後に上演されなければならない」ということ。作品のメッセージをしっかり心にとどめてもらうため、という理由からです。
また、「死(Death)」を踊るダンサーはその直前の上演演目に出演してはならないということも定められています。
「死」は作品の主役ともいえる重要な存在です。理由ははっきりと明言されていませんが、それだけ作品に集中することが求められており、また特別な意味が込められた役だということなのでしょう。
今週から、舞台指導のジャネット・ヴォンデルサールさんとクラウディオ・シェリーノさんを迎えての指導が始まりました。
ジャネット・ヴォンデルサールさんがSDBの指導に来るのは今回が2度目。前回は2005年、アンナさんの助手として来日されました。
リハーサルでは、早速オーディション形式でキャスティングが進められています。
「死」のキャストが気になるところですが、選ばれたダンサーは併演の「ウェスタン・シンフォニー」には出演できないという、公演を楽しみにしてくださっている皆さまにとってはなんとも歯がゆい状況かと・・・!
近日中にお知らせできる予定なので、もうしばらくお待ちください。
「緑のテーブル」初演は1932年。
今から80年以上も前に創られたこのバレエを伝え継ぐ一端を担えていることを誇りに、14年ぶりの再演に臨みます。
ぜひ劇場でお楽しみください。
スターダンサーズ・バレエ団公演『Dance Speaks』
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